リモーネ

映画。小説。

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長編小説  《革命前夜》

 

長編小説




革命前夜





続きは後日更新します










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革命前夜 《2》

 
朝から、あたしは、ため息をついた。
ホテルで朝食を食べたようと思ったけれど、そんなの無理!
やっぱり、志奈子さんのことが気になって仕方がない。
「やっぱり、会いに行こう」
あたしは、高志さんの別荘に、再び向かうことにしたの。借りていた、美里の服も返さなきゃいけないしね。
ということで、午後から、タクシーで、高志さんの別荘へと向かった。
あたしってば、昨日と同じ顔つき。同じ心境で、玄関に立っている。
『どうしよう。緊張する…』
あたしは、インターフォンを押したけれど、誰も出てこない。
留守なのかな?
もしかして、どこかに出かけているのかなぁと思って、諦めて出直すことにしたら…。
「はぁい…、どなた?」
まったく知らない人が出てきた。清楚で健康的な美人!
褐色の肌の若い女性。この国の人だと思う。メイドさんなのかな? そういう感じの服装だった。
彼女は、とても綺麗な英語を話す。
「あなたは、どちらさまですか?」
尋ねられたので、あたしは、おずおずと言った。
「あの、あたしは、高志さんの妹の美里さんの友人です。お借りした洋服を返しに来ました」
あたしは、その女性の全身をさっと眺めていく。何だか、ヘンなんだよなぁ。
そう思って見ていたら、なんと、彼女は、洋服のボタンが一個ずつズレているのよね。慌てて、洋服を着たら、こうなりましたっていう感じ。
彼女が振り向いて、大声で、高志さんを呼ぶと、彼が出てきた。
「ああっ! ユーミン! 来たんだぁ。ようこそ。さぁどうぞ」
愛想笑い。白い歯がピカーっと目立つ。
でもね、あたしは、見逃さなかった。口紅がね、口の周りについている。
この人、何やってんのよ!
あたしは、カーっと怒りを感じて、思わず怒鳴っていた。
「高志さん! あなた、ちょっとは責任を感じたらどうですか!」
「責任?」
キョトンとしている。
「まぁ、立ち話もなんだから、中に入れば?」
「いいえ、結構です!」
あたしは、その腕を乱暴に振り払う。
「あたしは、この洋服を返しに来ただけです!」
「ねぇ、何を怒っているの? もしかして、昨日のこと?」
「怒っているんじゃありません。呆れているんです! 志奈子さん、あなたのせいで亡くなったんですよ! あなた、それなのに平気なんですか!」
「えっ…?」
高志さんは、そこで初めて、シリアスな顔になった。
「何それ? 志奈子さんが死んだ? マジで? なんで死んだの?」
「それは、もちろん、決まっています! 失恋のショックで…。水路に落ちたそうです」
「信じられない…」
高志さんは、天井見上げて呟く。
あたしは、ニュースで聞いたことを簡単に説明していく。
でも、彼は、あまり動揺することもなかった。
「ああいうタイプの人は、他人を殺すことはあっても、自殺はないと思うけどなぁ…。何それ? 詳しいことは分かる?」
「あ、あたしだって知りません。この国の警察に問い合わせたらどうですか? ていうか、おたくの社員さんなら、お父さまたちがよく御存知のはずですよ」
「そうだね。親父に問い合わせてみるよ…。ふうん、あの志奈子さんが死ぬなんて、意外だなぁ」
ボーっと、呑気な口調。あたしは、イラっとなって叫んでいた。
「あなた、悲しくないんですか! 人事みたいな顔しないでくださいよ! あたし…。あたしのせいで、彼女が亡くなったのかもしれないと思うと…」
泣きそうになる。
でも、それなのに、彼は、ちょっと無責任な顔つきで言うの。
「まぁ、あの人は酔って、道端で倒れたことも何度かあるから、いつかはこうなると思ったなぁ~ でも、あの人の婚約者はショックだろうなぁ」
「婚約者?」
どういうこと?
「同じ日本人の社員だよ。親に言われて、お見合いしたって言ってた。日本にいる人だそうだけどね。彼女は、まだ結婚はしたくないって、よく言っていたなぁ」
彼は、単なる不幸な事故として捉えている。
ああ、何だろう。イライラ。イライラ。あたしの中で、何かが降り積もっていく。
「どうして、そんなふうに、平気な顔なんですか! あの人は、あなたに失恋したまま死んだんですよ! そんなことって、切ないと思いませんか!」
「思わないよ」
不意に、彼は、ツンという感じの醒めた顔つきになった。
「あの人は、俺を好きなんじゃなくて、誰かと恋する自分を好きなだけだよ。そういう人っているじゃない?」
「亡くなった人のことを、そんなふうに言うなんて…」
あたしは、ずっと、責めるように高志さんを見つめている。ああ、どうしてなんだろう。自分でもよく分からない。
それを指摘するかのように、高志さんが言った。
「じゃぁ、どう言えばいいの? 君は、どういう台詞が聞きたいの? 俺が、あの人にしてあげられることって何? あの人を好きなフリをすれば良かったの? そういうのが優しさってやつなの?」
「そ、そんなこと言っていません…」
あたしは、ぎゅっと一瞬、唇を噛み締める。
「あ、あなたは、きっと、思わせぶりなことを、あの人にも言ったはずです…。綺麗とか、そんなことを誰にでも言う人だから…」
あたしは、室内を清掃している美人を見た。
スレンダーな体型。山猫を思わせるような女の人だ。
「例えば、あの人にだって、あなたは言うんでしょう?」
「ん…? センナに? ああ、言うよ。彼女、この街で一番のべっぴんさん。特に、脚が綺麗だよね」
そう言って、じっと、センナの後姿を見る、その顔つきや視線の絞り方が、不埒!
もう、こんな人、ヤダ!
「とにかく、あたしは、不真面目な人が苦手なんです! だから、あたし…」
何が言いたいのかな?
あたし、ヘンなんだよね。
苛々している本当の理由って何なんだろう。さっきから、センナというメイドさんのことが気になって仕方がない。
彼と彼女は、どういう関係なんだろう。絶対に、ここで、このメイドさんとキスをしていた…。それは、あたしにも分かる。
その彼が、軽薄な感じの愛想笑いを浮かべながら、あたしの肩に腕をまわしてきた。
「ねぇ、ユーミン。ごきげん直しなよ」
「だ、だれが、ユーミンなんですか! 何なんですか! その言い方!」
高志さんと一緒にいると、理路整然としたあたしの生活がぐにゃりと不安定に崩れそうになる。
「ちょっと、トイレを貸してください!」
本当は、特に、用事もないのだけれど、相手から離れるために嘘をついていた。
そして、樋口家の別荘のトイレに入ったけれど、トイレットペーパーが切れかかっていることに気付いたの。
だから、棚からトイレットペーパーを取り出そうと、収納扉を開くと、隅っこの方に、何かが転がっているのが見えた。小さな丸いリング。
「これって、指輪?」
かなり古い金の指輪だった。宝石も何もついていないけれど、幅の広い指輪だ。
でも、あまりにもレトロで、これを、あのお洒落な美里がはめているとも思えないし、高志さんが、これをはめるようにも思えない。
何なのだろう? とにかく、これは、置いてあるというよりも、何かのはずみで、指から外れて落ちたという感じ。
(あっ……)
あたしって、どうして、こんなに記憶力がいいんだろう。頭の中で、こないだの光景がフラッシュバックした。
この指輪と同じ材質の同じようにレトロなネックレスを、あの日、志奈子さんは首からぶら下げていた。
あの人は、民族衣装風のワンピースを着ていたので、その古代風のネックレスもよく似合っていたんだけれど、彼女が彼を平手打ちした、あの日、あの瞬間は、この指輪を、はめていなかった…。
もしかしたら、本人も気付かないうちに、スルッと抜け落ちてしまったのかもしれない。
あたしと同じように、トイレットペーパーを取り替えようとして、この棚を探っている間に、落として、それで、そのまま…。
亡くなってしまった!
「うわっ、これ、きっと、志奈子さんのものなんだ…!」
それなら、亡くなった志奈子さんに返さなくちゃ。
そう思って、その指輪を自分の洋服のポケットに入れて、トイレから出ると、思いがけない人物が、居間に入ってソファに座っていた。
二人組みの、現地の男の人だ。
「高志さん? あの、お客さんですか?」
「んー。客っていうか、警察。これから、詳しく、志奈子さんの殺人事件に関して事情聴取されることになったから、行ってくるよ」
地元の警察官二人は、何か、顔を見合わせて囁き合っている。穏やかとは言い難い、この空気。
「えっ……」
それって、どういうこと?

殺人事件という言葉を聞いて、あたしは、いてもたってもいられなくなっていた。
でも、高志さんは、そのまま警察署へと向かうことになったし、メイドのセンナは、にっこり微笑んで呟いたの。
「わたくしも、今日は帰ります。あなたも、お帰りください」
そりゃそうよね。
あたしが、この別荘に残っても仕方がない。だけど、ホテルに帰ったところでやることはなかった。
だから、一人で市内の市場を観光することにする。
まるで田舎の広島の夏祭りのような、人混みの中、売り買いする声が行き交っている。怒鳴り合うかのように、オバちゃん同士が言い合って値段を決めている。
定価というものがないのね。
値切って、どこまで値段が下がるのか。
試しに、あたしも買い物をすることにしてみる。
食料品や衣料品のエリアを抜けると、あたり一面、貴金属を売るエリアへと辿り着いた。
どの店も似たような金属類を置いている。
粗末な建物の中に、いくつもの店舗が入っている。
日本人の感覚から言うと、店というよりも露店に近い。
いちばんお洒落な売り子のいる店の前で、しばらく、宝石を眺めていた。
だけど、さっき見たような古い指輪は、どこにもなかった。
ああいうのって、何千年も前に造られたものに違いない。もう一度、あの指輪を確かめようかと思ったその時、肩を叩かれたの。
「カバンが開いていますよ」
「えっ?」
振り向いて、すぐさま手元を見る。ヤバイ! あたしは相手が言っている意味を悟った。
あたしが脇に置いていたサマンサタバサのバックのチャックが全開している!
「うそっ! やだーーーーーーっ!」
信じられないことに、カバンの中に入れていたはずの財布が消えていた。
「この市場では、よくあることですよ。特に、あなたのような外国人の若い女の子はね、狙われやすいですね」
そう言って、肩をすくめた男の人は、よく見たら、ホテルの従業員のチェンシーだった。
「あの、どうして、ここに?」
もう、仕事は終わったのだろうか?
「今日は休みなんです。だから、食料を買いに来ました。この後の昼食に、アヒルと野菜のスープを作る予定でしたけど、もしよければ、あなたもどうですか?」
「えっ……?」
「僕の家は、この市場のすぐ裏手にあるんですよ。居候です。みやげ物店を営む夫婦の家に住んでいるんです」
「あの、でも、財布が…。だから、あたし、警察に行かないと」
「無駄ですよ。一度、盗まれたものは戻りません。いくら入っていたんですか?」
「五十ドルくらい」
そう言えば、まだ、ここに来て、お金を両替していない。この国では、米ドルも使えるって聞いていたから、そのままにしていたんだ。
「あの、あたし、ホテルに戻ります」
このチェンシーを信用していない訳じゃないけれど、お金もないまま街を歩く訳にはいかない。しかし、ふっと、気付いた。
「ホテルまで、ここから歩いて帰れますか?」
「はい。歩いて二十分です」
言ってから、チェンシーは、穏やかに微笑んだ。
「でも、あなたは歩いているうちに迷子になりますね。僕、大家さんにこのアヒルを渡してきます。そして、あなたをバイクでホテルまで送りますよ」
その申し出に、あたしはホッとした。良かった!
高志さんは、警察に連れて行かれたし、頼れる人と言えば、ホテルの従業員の人達だけだもの。
ホテルに着くと、あたしはチェンシーに呟いていた。
ロビーのカフェテラスに腰を下ろして、小声で尋ねていた。
「あの…、日本人の女性が亡くなった事件のことは知っていますか? 最初は事故としてニュースが流れたんですけど」
すると、チェンシーは、流暢な日本語で答えたの。
「ああ、街で噂になっていましたよ。カバンごと奪われていたようですね。この国では夜道で女性が一人で薄暗い路地を歩くことはありません。おそらく、彼女は油断したのでしょう。いつも見張られているから安心だと」
「見張られている?」
「ええ、あなたにも政府の公安官が常に見張っているはずですよ。外国の要人は、常に、あいつらに監視されているんです」
「ちょっと待って、どういうこと!」
「公安警察ですよ。外国人だけじゃなく、反政府思想を持つ国民やその周辺を、いつだって探っています。もちろん、単なる観光客全員のことを監視したりません。でも、あなたは、あの樋口製薬の関係者だから、その行動をすべて見張られているのでしょうね」
「ど、どうして! どういうこと?」
ああ、思い出した!
高志さんの別荘も、ガッツリ見張られていたっけ。
チェンシーは、黒ぶちの眼鏡の奥から、じっとこっちを見つめながら言ったわ。
「生物多様性条約って、ご存知ありませんか? この国の生物資源によって得た利益の一部を国に還元するように、この国の政府は樋口製薬に通達しているんです」
チェンシーの話を要約すると、こういうことだった。
樋口製薬は、二年前、この国の国境沿いの山岳地帯に生える、センナという名前の草の成分から、小児がんの進行を抑制する物質を作り出すことに成功したそうだ。
そして、その製品は、おそらく、もうすぐ日本での使用の認証許可が出るだろう。
その場合、それによって得た利益の15%を、この国の政府に還元するように、政府は樋口製薬に通達しているけれど、会社は、山岳地帯の人民に直接、利益を還元することを望んでいるという。
ああ、なんだか、突然、難しい話になってきちゃった。
「だから、樋口製薬の御子息はもちろん、その社員の動きも、常に監視しています。何か不審な動きがあれば、公安警察はただちに動き出します」
「ちょ、ちょっと待って…」
あたしは、整理整頓するために聞いてみた。
「じゃぁ、志奈子さんも、公安に見張られていたのに、何者かによって殺されたの? まさか、公安警察とやらが志奈子さんを殺したんじゃ…」
「さぁ。それはどうでしようね。公安警察だって、百パーセント、24時間、ターゲットの側についている訳じゃありませんよ。サッカーの試合に熱中していたなら、あいつらも、仕事は忘れます」
チェンシー的には、志奈子さんの死は、いまいち興味のないことらしい。
彼は、ちょっと驚くくらい熱心に、センナという草の話を続けているんだ。
あたしも、暇だから、その話に耳を傾けていく。
「そのセンナの草の効能を日本人に伝えたのは、少数民族である彼らです。そして、山岳で彼らが農業をすることで、その草の周辺の自然環境も保たれています。樋口製薬としては、欲深い政府ではなく、その思慮深い山岳地帯の人たちと協力したいと思っているのです。学資を援助したり、その土地に病院や図書館を作るといったプランを持っているようですが、政府は、そんなことを望んでいません」
政府の高官たちにとっては、山岳地帯の生活が潤うことより、自分たちの利益を増やしたい。
「15%の利益を還元したところで、その金は、軍事費用や高官たちの豪遊費用として消えていくことが目に見えています。だから、樋口製薬は、それをやんわりと拒んだ。でも、そうすると、センナの輸出を拒否すると脅してくる。政府の高官は、狡猾な脅迫者のようなものですよ」
そう言って、少し軽蔑したように笑う。
「でも、樋口製薬の重役だって、狡猾だ。だから、一人の高官に賄賂を贈るという形で、この問題を今のところは、うやむやにしています。この国の政府は腐敗していますからね。賄賂をつかませることで、しばらくは時間稼ぎをすることも可能なんですよ」
「はぁ…。なるほど」
ていうか、さっきから、センナっていう名前を何度も聞いたけれど、それって、どこかで聞いたような名前だわ。
(あーーーーーーっ! 同じだ!)
高志さんの別荘のメイドの名前も、センナだったような気がする。
日本で言うところの、桜とかキクみたいなもんなのかなぁ。やはり、草花の名前を女の子に付けるというのは万国共通のことなのかしら。
「まぁ、その薬が認可されてからが大変ですね。ハイエナのように、この国の高官たちは、樋口製薬から利益をむさぼるに違いない」
「はぁ…。そうですか?」
話を聞きながら、ふと、不思議に思ってきいてみた。
「チェンシーさんって、ホテルの従業員なのに、樋口製薬に関して、すいぶん詳しいんですね」
「実は、二年前までは、樋口製薬で通訳をしていましたから。志奈子さんが来るまではね。彼女のせいで、僕は職を失いました」
ちょっと言葉に棘があった。それが気になったけれど、そんなあたしを見透かすように、チェンシーが告げた。
「でも、そういう理由では殺したりしませんよ」
「はは…。そ、そうですよね」
一瞬、チェンシーの顔つきが険しくなったのを、あたしは見逃さなかった。何か、ふとしたはずみに迫力みたいなものが滲み出る。
年は、多分、25歳ぐらいだろうなぁ。でも、この人は、すごく苦労した人なんじゃないかなぁっていう気がした。
右腕には、ひどいヤケドの跡が残っている。
それに、顔にも、うっすらと無数の傷があった。そして、よく見たら、左手の人差し指が、スポンとちぎれている。
あたしの視線に気付いたのか、チェンシーは、自分から説明していた。
「これは、子供の頃、内戦があった時、負傷したんです」
「内戦?」
「ええ、ほんの20年前のことです。僕は、まだ七歳でした。今の政権になる前は、アーガル族の王族がこの国をおさめていたんですが、今は、ダーナ族系の軍人たちが統治しています。何も、知らないまま、この国にいらっしゃったんですか?」
「はぁ…。すみません」
地球の歩き方の本すら読まなかったわ。
「この国では、民族同士の殺戮が何度も繰り返されてきた歴史があるんです。それぞれの民族による神がいますからね。大変ですよ」
言いながら、チェンシーは目を細めた。
「だけど、三千年前は、ひとつの神しか存在しなかった…。その頃は、何の争いもなかったのに…。ジャングルの奥に眠る古代遺跡は、もう御覧になりましたか?」
「いいえ。まだ何も…」
何しろ、案内をしていくれる筈の美里は、バンコクで足止めされているし、高志さんは、警察に捕まったし、どうすりゃいいの?
(つーか、高志さん、どうなったんだろう?)

あたしは、チェンシーとしばらく話した後、一人で、昼食をとって、それから後は、ホテル周辺の雑貨店を見回ってから、ホテルの中庭で、ぼんやりしていた。
何だか、ここって、日本と時間の流れ方や空気が違うんだよなぁ。
平日の真昼間でも、小学生くらいの男の子が観光客相手に絵葉書を売っている。
小さな女の子は、裸足で花を売り歩いている。
少し、狭い路地に入ると、路上で男たちが、中国の将棋のようなゲームに熱中している。
あたしは、ホテルの図書室にあった本を手にとって、一気に読んだわ。
それは、この国を訪れた戦場カメラマンの旅行記。
『花の瞳』
そういうロマンチックなタイトルの本なのに、写真には、たくさんの死体の写真が掲載されていて驚いた。
二十年前、二つの大きな民族が対立して、結局は、ダーナ族系の人達が勝ったらしい。
その後、負けたアーガル族は、全員、思想改革キャンプに送られて、強制労働をさせられたそうだ。
二つの民族には、ある特徴がある。
ダーナ族の人達は、鼻が少し低くて、ガッシリとした体つきをしていて、アーガル族は、鼻筋が綺麗で、背も高くて、どこか優美だ。
そして、その他の細かいいろんな少数民族たちもまた、各民族ごとに、昔から伝えられてきた文化や習慣を守って生きてきたけれど、今は、ダーナ族の言うままに生活している。
戦争前に、都市部で裕福に暮らしていた者も、ダーナ族から、財産を取り上げられて、貧しい土地へと強制的に移動させられる。
小さな子供も、容赦なく働かされる。
そうして、ダーナ族に永遠の忠誠を尽くすように教育される。
しかし、元々、この国の中心にいたのはアーガル族だ。そのアーガル族の頂点にいた王族たちの多くは、今は、海外に逃亡している。
王家の直系に当たるナマステラ王子は、20年前に、国境地帯の川で敵軍に殺されて亡くなったらしい。
しかし、アーガル族の多くは、王子が、今もどこかで生きていると信じているという。
「へーえ、何だか、漫画や映画みたいな世界よね…」
あたしは、その本を読みつつ、ふっと独り言を呟いていた。
「二つの民族ね…」
背が高くて、鼻筋が綺麗っていうと、あのセンナはアーガル族よね。
容姿以外にも、アーガル族は、装飾的なセンスに優れていて、どこかフランス人っぽい雰囲気を漂わせているって、本に書いてあったわ。
ダーナ族は、実質一筋みたいな感じで、どこか無骨で無粋なところがあるらしい。
まぁ、もちろん、それは、日本人カメラマンから見た印象なんだけどね。
ちなみに、現在、この国で、収入のいい、良い仕事に優先的につけるのは、ダーナ族。
高級ホテルのフロントマンや、空港や、外国資本の会社に入っているのは、おおむね、ダーナ族。
清掃係りや、雑用の仕事をしているのは、アーガル族が多い。
ということは、チェンシーは、ダーナ族?
でも、その割に、政府に対して辛らつなコメントをしていたよね。
んじゃ、もしかして、その他の、少数民族ってやつなのかな?
どうしても気になったので、あたしは、支配人の藤堂さんに、何気なく聞いてみたら、彼は、すんなりと答えてくれた。
「ああ、チェンシーは、山岳地帯出身ですよ。樋口製薬が買い取っている山を知り尽くしている民族です。昔は、山で生きていたんですけど、今は、彼らも、街に出て、いろんな教育を受けるようになったんでしょうね。彼が、何か?」
「あっ、いえ…」
そんなことより、確認しなくちゃ。
「あの、まだ、連絡はありませんか? あたしに、何か伝言はありませんか?」
あたしは、美里のことを聞いたつもりだった。
でも、藤堂さんは、心得ておりますというふうに頷いてこう言ったの。
「ああ、もちろんございますよ。高志坊ちゃんから、伝言です。至急、会いたいとおっしゃっていました。五分前に電話がありました。すぐ、電話なさるといいですよ。何か、急いでおられるようでしたから」
「えっ…?」
どうしたんだろう。
でも、ホテルに電話できるってことは、警察署から出られたってことなんだ!

高志さんに電話をかけると、彼は言った。
「話があるんだけど、そっちに行ってもいいかな? うちで夕食でもいいけど、今夜は、センナは来ないし、それに、家の中は、とても住めたもんじゃないしさ」
「えっ?」
言っている意味が分からなかった。
「まっ、とにかく、オレも、そこに泊まるから、ホテルのロビーで待ってて。15分で着くからさ」
そう告げて、彼はやって来た。
だけど、あたしは、顔を見た瞬間、悲鳴をあげていた。
「な、なんですか! その顔は! ひどい…」
唇の端が腫れ上がっている。
出迎えた藤堂さんも、怯えたように高志さんの顔を見ている。
「信じられません。この国の役人たちが、外国人にこんな無礼な真似をするなんて…」
藤堂さん的に、相当、ショックだったらしい。
高志さんは、そんな藤動さんの肩を叩いていた。
「まぁな。仮に、買春で捕まっても、賄賂さえ払えば、チャラにしてもらえるような国だ。ヘンな話、ビザがなくったって、賄賂を渡せば通してくれるような職員だっている。だが、最近、マジで、この国はヤバイらしい。財政難で四苦八苦している」
「ええ、分かりますよ。税率はどんどん高くなりますし、それに、盗難事件も増えております。うちのホテルの従業員も、ホテルの備品を盗んで売りさばく始末ですから。でも、だからこそ、あなたのような方には手など出さないはずですが…」
樋口製薬のご子息。
その彼が、拘束されて、取調べ中に殴られた…。
「とにかく、ご無事で何よりです。部屋は、もちろん用意しておきました」
そう言って、支配人さんは自分の仕事に戻っていく。
あたしは、高志さんに尋ねずにいられなかった。
「あの、任意の取調べじゃないんですか? 正式に捜査令状とかあるんですか?」
「さぁね。何しろ、いきなり、おまえが殺したんだろうって怒鳴られたよ。目撃者がいるって言われて」
「目撃者?」
「ああ、でも、その目撃者っていうのも怪しいんだよな。オレって、単にはめられただけっていう気がする。何しろ、志奈子さんが殺された時刻には、オレは、ずっと家にいたんだよ。センナも横にいた」
「じゃぁ、センナさんにアリバイを証明してもらったらいいじゃないですか?」
「ああ、言ったよ。でも、あいつらは、ニヤニヤしてこう言った」
うんざりしたように肩をすくめる。
「ここから出してもらいたければ、誠意を見せろってね」
「誠意?」
「ストレートに言うと、賄賂。警官たちに、お小遣いを渡せば出してもらえるってこと。どうも、オレ以外にも、五人いる研究所のスタッフたちも一通り、取り調べられて、金を要求されたようだね。仕方ないから、所長が本社にかけあって、保釈金をかき集めて出したらしい。ああ、もう、めんどくせぇ国だよな」
「ひどい! やってることが無茶苦茶だわ!」
「ああ、そうだな。でも、まぁ、警官たちが要求した金って、五万円程度なんたけどね。前に、麻薬所持の疑いをふっかけられた時は、一万円、払ったら容疑が晴れた…」
言いながら、高志さんは、あたしを、ホテルのカフェの椅子に座らせる。
「問題は、そんなことじゃないんだよ」
綺麗な顔なのに、口元に痣が残っているせいで、見るからに痛々しい。
「所長の話によると、志奈子さんは、この国に派遣している、うちの新薬開発チームの大事なデータを盗んでいたらしいんだよな。この国で採れる植物が、難病の治療に役立つことを発見して、それを製品化するために研究しているんだけど、その研究データを、この国の高官たちに横流ししていたようだ」
「えっ、それって犯罪じゃない!」
「ああ、でも、所長は、意図的に放置していたらしい」
「どうして?」
「嘘のデータを志奈子さんに流させておけば、本当のデータは守れるだろ? この国の奴らも、それで安心する」
「んじゃ、志奈子さんは、あなた達を裏切りつつ、この国の人達のことも騙す役をやっていたってことよね。もしかして、嘘のデータだということがバレたせいで殺されたの?」
「所長は、その可能性は薄いって言っていた。だって、それは、実際に製品にして治験を重ねない限りは、効果があるかないかなんてことは分からないからね。製品化するにしても、実際には、この国の中で作ることは難しい。高官たちも、データを親しくしている第三国に売るつもりで聞き出していたんだと思うよ」
「でも、嘘がバレていないなら、志奈子さんに死なれると困るんじゃないの? 樋口製薬の所長も、この国の高官も、どっちにしても彼女を利用しているんだもの」
産業スパイ。
そういうのって、本当にいたのね…。
あの志奈子さんが、そういうことをしていたなんて。
高志さんの父親の会社に勤めながら、平気で裏切って、そして、何食わぬ顔をして、高志さんと付き合う。わー、なんて図々しい人なんだろう。
そう言えば、彼女、婚約者がいるって言っていたよね。
志奈子さんって、いろんな人を騙して生きているんだなぁ。あたしには、そういう人って理解できない。
「まぁね。実は、志奈子さんが、研究データをこっそり盗めるほど、うちの研究所のセキュリティーは甘くないんだよ。もう、最初っから、産業スパイごっこをしそうな人にわざと、偽の情報を見せることで、やり過ごしているって感じ。だから、それは、いいんだけど…」
ハーッと、溜め息をついている。
「この国の政府や警察以外の何者かが、志奈子さんを追っていたんじゃないかっていう気がするんだ」
「ん? どういうことですか?」
「警察も、一応、マジで志奈子さんの殺人事件を調べているらしくて、オレが金を払って釈放してもらった後に聞いたんだけど、志奈子さんは、何度も、留守中、自宅のアパートを荒らされていたそうだよ」
「泥棒ですか? でも、それって、この国ではよくあるんじゃないの?」
あたしも、市場で、さっそく財布を盗まれたもん。
「ああ、そうだよな。警察もそう思って、たいして気にしていなかった。だけど、志奈子さんの部屋に入った泥棒は、金目のもの…、例えば、ノートパソコンや高級な壷なんかに手を出していない。盗むというより、何かを探し回って、部屋から出て行ったっていう感じだったそうだよ」
高志さんは、きゅっと眉根を寄せている。
「つーか、オレが、さっき、うちに帰ったら、部屋中が荒らされていたんだ。もう、部屋中、引っくり返して立ち去っていたんだ。もう、寝る場所もないよ。台所の冷蔵庫の中までかき混ぜられていた」
「それって! 留守の間にドロボーが入ったってことですよね」
「泥棒だったら、いいんだけどね」
注文していたケーキをつついて、彼は、唇を尖らせた。
「どうも、いわゆる普通の盗人じゃない気がする。オレの家の中にある貴重品は、何も無くなっていない。多分、志奈子さんを殺した奴と何か関係あるんだろうな。あっ、志奈子さんは事故死じゃなくて他殺。毒殺されたってことらしいよ。検視したら体内から微量の毒がみつかったそうだ」
「毒殺…?」
夜道を歩く女性を毒殺? どうやって?
「ああ、毒殺。首筋に注射針をブスっと刺して、そのまま立ち去ると、はい、おしまい。でもさぁ、そんなことをするってことになると、単なる泥棒じゃないよな。でも、カバンは無くなっているし、上着も剥ぎ取られていたようだよ。でも、レイプされたりした形跡はいっさいない。それに、その上着も、橋の上にひっかけられていたようだ。ただし、ポケットは裏返されていたらしい。これってどういうことだか分かる?」
「あの…、志奈子さんが持っている筈の何かを探していたってことでしょうか?」
あたしは、ドキドキしていた。
どうしよう。
な、なんか、この国に来て以来、どんどんシリアスな事態に巻き込まれていく。
美里と呑気にバカンス。
そのつもりで、ここに来たのに。
火曜サスペンス劇場みたいなことになっている。
「あの…、思うんですけど、なんで、高志さんも美里も、この国にわざわざ来るんですか? ハワイやサイパンにも別荘があるはずだし、それに、ここって、こんなふうに物騒なところなのに…」
「あっ、もしかして、ユーミン、この国に来たことを後悔してる?」
「……」
図星だった。
ていうか、女子大生がエンジョイするような国じゃないと思うんだ。
「でも、オレ、好きなんだよなぁ。国営デパートは、いつも空調が切れているし、エスカレータも止まったままだし、それに、年中、唐突に停電するような国だけどね。そういう野蛮なところがいいよ。この国に来るたびに、背筋が伸びるんだ。ねぇ、もう、市場とか行った?」
「行きましたよ」
「そっか。あそこ、カエルも亀も食料として売ってるだろ? 盲目の老女とかが、買い物客に金をせびったり、小さな子供が売り子として働いていたり、そういうガサガサした空気が好きなんだよなぁ。それに、だいたいさぁ、ここ、中心都市なのに信号がない場所が多いだろ! 歩道橋もないから、道を渡る時は、命がけだよ。まぁ、現地の人は、のんびり歩いて渡っていると、バイクや車も、不思議と人を轢くこともないし。そういう混沌とした中でも、奇妙に調和しているところがいいんだよな」
高志さんは、本当に面白そうに笑っている。
この人って、本当に飄々としている人だ。
警察署で殴られたこととか、たいしてトラウマにはなっていないらしい。
不意に、スッと立ち上がったの。
「そうだ! ユーミン、デートしよう」
「はぁ?」
なぜ、そうなるかな?




続きは後日更新します



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